PR誌その後 98/05/27
500円に大いに悩む 98/05/21
ダイエーでシメイを買う 98/05/12
鳥里のURLがPR誌に紹介 98/05/08
麦畑の丘 98/05/06
深夜、バナーを作る 98/05/03
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98/05/27
「さる業界紙」というのは、人工透析の器械やプラントのポンプなどを制作している、ちゃんとした会社のPR誌であった。編集担当のOさんからメールをいただき、社名から検索してホームページを拝見する。無断だけどリンクを張っておきます。http://www.nikkisoj.co.jp/index.html
普段は人の仕事の話、特に技術系の話は見聞きしないので新鮮な驚きがあった。学校の無目的で退屈な知識や技術が、こういった製品の中では生き生きと輝いて見えた。
ネットスケープ・ナビゲーター4.0を入れ、ページの動作確認をする。IE4.0に比べてキビキビ動く、が、マルチメディアを扱う場面でのJAVAの起動が遅い。30秒ほどじっと待たなければならないのがつらい。一度起動してしまえば次回からは問題ないのだが・・・・。インターフェイスは初めてにしては使いやすかった。意味のないMIDIファイルは止めようかな、と思う。
98/05/21
昨日は近くにある神社のお祭りであった。「郷土の日」ということで小学校は午前中の授業になる。朝出がけに息子が、今日学校から帰ってきたら友達と一緒にお祭りの露店に行くから小遣いを欲しいという。綿飴が400円でくじ引きが300円、それと福袋が300円と内訳を言いながら計1000円を要求してきた。
小学校4年生の子どもの祭りの小遣いとして、1000円という金額が妥当なものなのか迷う。 私が彼の年頃の時、お祭りに行くのに親からいくら小遣いを貰ったか思い出してみようとしたのだが、思い出せない。とりあえず500円ならいいよと言ったのだが、この500というのはあまり意味のない数字だ。教育的な配慮から要求を無条件で受け入れるのはまずい気がしたし、子供が千円札をびらびらさせて買い物しているという光景も気に入らなかった。500円玉なら許せる。そういう金額である。
息子は500円では綿飴しか買えないとぐずったが、そうなるとますます1000円は渡せない。「いやなら、あげないよ」ときつく申し渡した。たぶん友達と互いに1000円貰ってこれとこれを買おうと話し合っていたのだろう。息子は涙ぐみながら学校へ行った。朝からちょっと嫌な気分になる。財布を確かめると小銭がない。近くのコンビニで千円札をくずさなければならないことにも気づく。
一時近くに学校から帰ってきた息子は、玄関のドアを開けるなり「500円でいいからちょうだい」と言って、お金を受け取るとニコニコしながら飛び出していった。朝のあの涙は何だったのだ!
今朝の食事のとき、その金額に対して妻は「あなたの金銭感覚はしっかりしていて良かったわ。わたしでも1000円は渡せないわよ」と支持してくれた。「A君は1000円貰ってぜんぶ食べ物を買った、陽太郎はおもちゃのくじ引きで500円全部使ったんだって。でもB君は200円しか貰えなかったから、イチゴ飴しか買えなかったんだって」
200円というのは考えなかったなあ。しかし遠足のおやつも200円以内だし、なるほど・・・・負けた・・・・。
「陽太郎も200円でよかったね」と言ったら、それには息子は答えず「C君はおばあちゃんからももらったんで、2000円だよ。でもぜんぶは使わなかったよ」と言った。
98/05/12
地ビールのブームである。あちこちに地ビールの工場ができて色んなタイプのビールが飲めるのはうれしい。しかし、どうもみんなピルスナー系の、というよりもアサヒスーパードライ系の「スッキリ喉ごしさわやか」「ビールなんてぐびぐび飲めればいいもんね」というタイプしか頭の中に無いようだ。
TVのインタビューをうけて、「飲み易いですね」って感想ははないだろう。確かに時流に合わせてそんなタイプのビールばかりを造っているのかもしれないが、「飲み易い」が最高の賛辞になっているというのは寂しい。
というわけで、ベルギーの修道院で作っている「シメイ」というビールを飲んでみた。ひとくち味わって「うーむ」とうなる。これは「食物」だ。そう、良質のパンと同じ香りがする。一面に実った麦畑や肥沃な大地の匂いまで想像させる。
ピラミッドを建設した人々は、パンと共にビールを配給されていたらしい。その当時のビールの製法は、小麦粉でパンを焼き、それを砕いて水を加え、加熱し発酵させるというものだった。そんな知識を十分実証してくれる。
ラベルを眺めると、瓶詰め前に酵母を入れ二次発酵させているということや、こんな形のグラスは駄目で(×印がついている)、この形のグラス(ブランデーグラスのような形)で飲みなさいとイラストで注意される。最近の軽佻浮薄のビール文化を「悔い改めよ」と修道僧にお説教されているようである。
これ以来僕は「シメイ」を愛飲しているかといえばそうではない。高いんだよね、これが。小瓶サイズで500円くらいする。こうした重厚な文化は安易に異邦人を寄せつけないのである。
98/05/08
小説家の佐藤さんが鳥里のホームページのURLをさる業界紙で紹介してくれたらしい。ありがたや、ありがたや。
マックとネットスケープの環境で(森田君の?)画像のページが見られないようだ。何か特別のプラグインが必要なのかしら?
98/05/06
連休中にキロロリゾートに行って来た。札幌からキロロがある赤井川村までは往復100q程の道のりで、その頃バイクを買ったばかりのぼくにはちょうど良い距離のツーリングコースだった。
もうあれから十六年たっている。その当時、小樽の奥沢から毛無山の展望台に向かうつづら折りの道は、まだアスファルトの匂いが残っているような舗装されたばかりの道だった。そんな峠道をブレーキング、シフトダウン、スロットルオン、シフトアップ、ブレーキングとバイクを傾けながら走り抜けるのが、ひとり暮らしの気ままな休日の過ごし方だった。
毛無山の頂上から朝里スキー場を見下ろす峠道を過ぎると、道路工事で砂利の浮いた道になっていた。深い砂利はハンドルを震わせ、しっかり握っていないとだんだんその揺れ幅が大きくなる。フロントブレーキは使えない。スロットルだけでスピードをコントロールし、砂利をさけて轍を走るようにするが、対向車とすれ違うときはそうも行かない。そんな道が数キロ続き、赤井川村の境を越えると、道はまた舗装路になる。
悪路から解放されて峠の緩やかにつづくカーブを走り抜けていくと、麦畑の丘にでる。僕はいつもそこにバイクを止めて、ヘルメットを脱ぎ、黄金色に染まった一面の麦畑を吹き抜ける風や、その向こうの山並みを眺めながら、煙草を喫いながらひといき入れるというのが習慣だった。
妻の運転する車の後部座席で、知らず知らずその麦畑の丘をさがしていた。確かあのカーブを曲がると・・・・。記憶に残るその場所はいくつカーブを抜けても現れなかった。
キロロに一泊した翌日のチェックアウトの後、いつもの年なら荷物を預けてシーズン最後のスキーをし午後になってから帰っていたのだが、先の事情でスキーもできないし、昨日のテニスで体も疲れていたので早々に帰途についた。途中、ソフトクリームを食べたいという息子のリクエストに応えて「とんでんファーム」に寄る。「あなたは、昨日からお菓子やらジュースやら食べっぱなしでしょう」と妻は反対したのだが、「今日はこどもの日だぞ」と、結局息子に押し切られたのだった。
連休の最終日ということもありその観光牧場の駐車場は混雑していた。ソフトクリームの券売機の前に並ぶ妻と息子を眺めながら、車の脇に残った僕はシャツのポケットから煙草を取りだした。ライターで火を点け、煙を吐き出しながら目を移すと、駐車場の向こうになだらかな牧草地と芽吹きはじめた森が見下ろせた。その彼方にまだ雪の残っている山並みが見える。
十六年前のおぼろげな記憶が確信に変わった。ここだったんだ。ここがあの麦畑だったんだ。
98/05/03
鳥里のバナーを作りました。アニメーションGIFでピカピカ派手なものをとも思いましたが、リンクを張ってくれる人が嫌がるかもと考え直し、地味目なものにしました。ところでバナーのサイズは 88×33(ピクセル)が標準だそうです。 ・・・・見てはもらえぬバーナーを、眠さこらえて描いてます・・・・この歌が良くなかったのだろうか、
鳥里のバナーのファイル名がbarnerとなっている。・・・・恥ずかしい、で
これがこのホームページのbannerであります。作った当初は、おおっー、カッチョイーと思ったのだが・・・・
あした(5/4)キロロに行きます。最初はスキー三昧の予定でしたが、例年になく雪の量が少なかったのと、春先の暖気のため(札幌では28度を記録した)スキー場は閉鎖されてしまいました。(涙)
奥さんがヤマハのサイレントドラムを買いました。16beetの曲にあわせて叩いているとストレスが発散されます。まあー、ストレスなど無いのだが(^^)